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最高裁判所第二小法廷 昭和43年(し)109号 決定 1969年4月25日

主文

原決定および原裁判所が昭和四三年一二月一一日検察官に対し佐藤親則ほか九名の検察官に対する各供述調書を弁護人に閲覧させることを命じた決定は、いずれもこれを取り消す。

理由

本件抗告の趣意は別紙添付のとおりである。

所論第一点は判例違反をいうが、所論引用の当裁判所昭和三四年(し)第六〇号同年一二月二六日第三小法廷決定は、いまだ冒頭手続にも入らない段階において、検察官に対し、その手持証拠全部を相手方に閲覧させるよう命じた事案に関するものであるから、証拠の段階において、特定の証拠につき、裁判所が、訴訟指揮権に基づいて、検察官に対し、これを弁護人に閲覧させることを命じた本件とは、事案を異にし適切な判例とはいえず、同第二点は、原決定は憲法三七条二項前段を根拠にして証拠開示を命じたとして、同条項の解釈の誤りをいうが、原決定の引用する昭和四三年一二月一一日証拠閲覧を命じた決定は、同条に基づく反対尋問権保障の観点から、刑事訴訟法上の訴訟指揮権により、検察官に対し証拠の開示を命ずることができるとしているにすぎないから、所論はその前提を異にし、同第三点は、単なる法令違反の主張であつて、以上すべて適法な抗告理由にあたらない。

所論にかんがみ職権をもつて調査すると、本件は、原裁判所が、審理中の被告人三浦利男ほか六名に対する威力業務妨害等被告事件において、検察官から佐藤親則ほか九名の証人申請があつたところ、該証人に対する反対尋問ならびに真実発見のため必要であるので、検察官に対し、右各証人の警察官および検察官に対する各供述調書を、弁護人に閲覧させるよう命ぜられたい旨の弁護人の申出により、右各証人の採用決定前の昭和四三年一二月一一日、右各調書のうち、検察官に対する供述調書の右証人の立証趣旨にそう部分に限つて、当該証人の主尋問終了後反対尋問前に弁護人に閲覧させることを命じたところ、検察官から異議の申立があり、原裁判所が、これを棄却する旨の決定をしたものであることは、記録によつて明らかである。

ところで、裁判所は、その訴訟上の地位にかんがみ、法規の明文ないし訴訟の基本構造に違背しないかぎり、適切な裁量により公正な訴訟指揮を行ない、訴訟の合目的的進行をはかるべき権限と職責を有するものであるから、本件のように証拠調の段階に入つた後、弁護人から、具体的必要性を示して、一定の証拠を弁護人に閲覧させるよう検察官に命ぜられたい旨の申出がなされた場合、事案の性質、審理の状況、閲覧を求める証拠の種類および内容、閲覧の時期、程度および方法、その他諸般の事情を勘案し、その閲覧が被告人の防禦のため特に重要であり、かつ、これにより罪証隠滅、証人威迫等の弊害を招来するおそれがなく、相当と認めるときは、その訴訟指揮権に基づき、検察官に対し、その所持する証拠を弁護人に閲覧させることを命ずることができるものと解すべきである。

しかし、これを本件について考えると、以下に述べるとおり、いまだ右のごとき要件をそなえるに充分であるということはできない。

原決定およびその維持する本件各調書を閲覧させるべきことを命じた決定が、閲覧の必要性について判示するところは、当該証人に対する証人尋問は、起訴の時から数えてすら四年近い日時を経過した時点で行なわれるのであつて、証人において記憶喪失、思い違いの生じていることが容易に推察でき、そのため、その尋問も捜査当時における当該証人らの供述調書、なかんづく検察官に対するそれに依拠するところが大きいと予想され、ひいては、その証言がこれら調書と実質的に相違して、刑訴法三二一条一項二号あるいは同法三〇〇条により、右調書そのものが取調べられるにいたることもあり得るから、これら調書の証拠としての重要性は無視できず、弁護人において適切有効な反対尋問をして、実体真実発見に資し、被告人の防禦を全うするためには、主尋問終了後反対尋問前に、当該証人の検察官に対する各供述調書を閲覧しておくことが必要不可欠であるというのである。しかしながら、右決定は、前記のごとく、検察官の証人申請に対して、いまだその採否の決定のない段階で発せられたものであるから、もし証人が採用されなければ反対尋問ということはあり得ないし、採用のうえ主尋問が行なわれたとしても、その結果如何によつては、反対尋問の必要のない場合も予想されるところである。とすればこのような場合には、反対尋問のための閲覧の必要性はその前提を欠くことになる。また、主尋問の結果、調書自体の取調請求がなされることも予想されないではないが、この場合は、主尋問を実施したうえ、調書の取調請求を必要とする気配が生じた時にこれを閲覧することができれば、通常の場合、被告人の防禦に欠けるところはないと思われるし、それが当事者間の公平にも合致するものといわなければならない。このような観点からすると、他に特段の事情のない本件において、証人の採用決定もない現段階で、反対尋問のため必要であるとの理由をもつてしては、本件各調書の閲覧は、たとえその閲覧の時期を主尋問終了後反対尋問前と指定したとしても、いまだ被告人の防禦のため特に重要であるとするに足りない。

また閲覧による弊害の有無について、原決定およびその維持する本件各調書を閲覧させるべき旨を命じた決定は、閲覧の時期を主尋問終了後反対尋問前とすれば、証人威迫、罪証隠滅のおそれもほとんど杞憂にすぎない、としているが、証人採用決定もなくしたがつて主尋問も実施されていない現段階で、このように弊害がないと判断することは、時期尚早といわなければならない。このような弊害の有無は、証人を採用し主尋問の行なわれた段階で、閲覧の必要性を判断するに際し、あわせて考慮すべきものというべきである。

以上のほか、記録によつてうかがわれる本件事案の性質、審理の状況等諸般の事情を勘案すれば、検察官に対し、前示のように弁護人に本件各調書を閲覧させるべきことを命じた昭和四三年一二月一一日の原裁判所の決定は、現段階においては違法なものといわなければならず、これを維持した原決定も違法であり、これらを取り消さなければ著しく正義に反するものと認める。

よつて刑訴法四一一条を準用し、同法四三四条、四二六条二項により、裁判官全員一致の意見で主文のとおり決定する。(草鹿浅之介 城戸芳彦 色川幸太郎 村上朝一)

検察官の特別抗告申立(昭和四三年一二月一六日付)

第一、特別抗告申立に至る経緯

本件は、昭和四〇年六月二〇日横浜地方裁判所に公訴を提起され、同裁判所第一刑事部に係属中である。本件は、同年九月一八日第一回公判が開廷されたが、以後、第四回(同年一二月二日)公判にいたるまで、特別弁護人選任、被告人五十嵐春樹、同染井清に対する各道路交通法違反被告事件の併合、起訴状の釈明等をめぐつて紛糾し、第五回(昭和四一年六月一五日)公判において、ようやく検察官の冒頭陳述が行なわれた。その陳述の途中において、弁護人よりその一部の削除申立があり、裁判長は、これを容れて検察官に対しその削除を命じた。第六回(同年一〇月二八日)公判において、検察官が冒頭陳述を続行したところ、弁護人より異議を申立て、冒頭陳述の削除を求め、裁判長がその異議申立を棄却したところ、弁護人は、裁判官に対する忌避申立をなし、そのため訴訟手続が中断されるに至つた。

右忌避申立は、昭和四一年一一月二九日、横浜地方裁判所第二刑事部において、その理由がないとして却下され、訴訟を進行しうることとなつた。しかるにその後、裁判所の構成が全員替り、期日指定がなされなかつたので、昭和四二年二月二八日、検察官は、書面により期日指定をなされたい旨申立てた。しかるに、その後も期日の指定がなく、昭和四三年三月一八日に至つてようやく第七回公判が開廷された。同公判において、検察官は、冒頭陳述を行ない、証拠として、書証一四通、証人一〇名の取調を請求したところ、弁護人は、検察官申請証人の警察官調書並びに検面調書を事前に閲覧させるよう勧告されたい、反対尋問のためにも、実体的真実発見のためにも、事前閲覧をさせてもらい度い、との意見を述べた。

第八回(同年五月一〇日)公判において、裁判長は、検察官に対し、検察官申請証人の警察、検察庁における供述調書を事前に弁護人に閲覧させるよう勧告した。

一方弁護人は、右公判において、前回申請の書証につき、一〇通は不同意、その余は留保(現在に至るも意見の表明はない)の意見を述べた。右不同意の書証は、現場の実況見分調書一通、現場写真集九通である。

第一〇回(同年九月四日)公判において、検察官は、前記勧告に対し、現段階においては閲覧させる意思はなく、法三二一条により検面調書の取調を請求することを決めた際でなければ閲覧させる意思がない旨の意見を述べたところ、弁護人は、検察官には弁護人に事前閲覧させる法的義務があるとして、裁判所に対し、検察官に右調書を弁護人に事前閲覧させよとの命令を出されたい旨の申立をした。

第一一回(同年一〇月二五日)公判において、弁護人は、重ねて書面により証拠閲覧に関する申立をなし、裁判所がこれに関し検察官に釈明を求めたので、検察官は、検面調書につき法三二一条一項二号書面として請求する意思を生じた場合閲覧させる旨明らかにした。

裁判所は、第一二回(同年一二月一一日)公判において、検察官に対し、「検察官は、弁護人に対し、各証人の検面調書中、各立証趣旨に沿う分の全てを、当該証人の主尋問終了後、反対尋問の以前において閲覧させなければならない」との証拠調に関する決定をした(以下証拠開示決定という。別紙一)。

検察官は直ちに、右決定は

(一) 刑訴法二九九条、同規則一七八条の六並びに最高裁昭和三四年一二月二六日、同三五年二月九日各第三小法廷の決定に違反する。

(二) 証人尋問の決定すらなく、したがつて主尋問も行なわれていない段階において、証人の主尋問終了後検面調書を開示することを命ずることは、訴訟の構造を乱すもので違法である。

(三) 刑訴法三〇〇条により、検察官には検面調書取調請求義務があるが、同条は、弁護人にそのための証拠開示申立権を認めた趣旨ではなく、そのような見解の下に証拠開示を命じていることは、同条の解釈を誤つている。

(四) 憲法三七条の反対尋問権の保障が、弁護人に対し証拠開示を求めうる権利まで認めているとの解釈は誤つている。

との理由をあげ、右決定は法令に違反した決定であるとして、異議の申立をした。

これに対し、裁判所は、即日、右異議申立は理由がないとしてこれを棄却する旨決定(以下原決定という。別紙二)したので、特別抗告の申立をするに至つたものである。

第二、本件証拠開示決定およびこれを是認した原決定の理由の要旨

一、検面調書は、弁護人に事前に開示したうえ証拠として取調請求がなされるのが久しい間の全国的な慣行であるが、本件にかぎつて検察官が、その慣行を破る合理的理由がない。

二、検面調書は、法三二一条一項二号後段、同三〇〇条により証拠として提出される可能性が高く、しかも、検察官はこれに準拠して証人尋問を実施すると予想されるから、検面調書が現段階においては訴訟の表面から消えているとしても、その証拠としての重要性は無視できない。

弁護人が、憲法三七条において保障されている反対尋問権を実質的有効に行使するためには、検面調書の事前閲覧が必要である。

三、現行刑訴法上、検察官に対し証拠の全面的事前開示を義務づけている規定はないが、これを否定する規定もなく、裁判所は、その訴訟指揮権により、具体的事案により、証拠開示を命ずることができる。

四、証拠の事前閲覧に関する最高裁判所の決定は検察官に全面的証拠開示の義務がないというにすぎず、具体的事案について、一定の条件の下に、その開示を命ずることまで禁止しているものとは解せられない。

五、本件においては、弁護人から証拠開示の申立があること、起訴後四年を経過し、証人の記憶が薄れていると推定され、検察官が検面調書によつて尋問を実施することが予想されるので、弁護人の反対尋問権確保のため事前閲覧させることが必要不可欠であること、主尋問終了後であれば事前閲覧による証人威迫、罪証隠滅等の虞が極めて薄いと考えられることなどの事情があるので、検察官の主尋問終了後、弁護人の反対尋問前に、検察官が当該証人によつて立証する事項についての検面調書の閲覧を命ずることが相当である。

第三、特別抗告申立理由

第一点 本件証拠開示決定およびこれを是認した原決定は、最高裁判所の判例と相反する判断をしている。

一、本件証拠開示決定は、現行法の解釈として、包括的事前開示を認めることは妥当でないとしながら、一方

1 本件のごとく起訴後四年近くも経過し、検察側証人に十分な証言が期待しえず、当該供述調書の訴訟の背後において果たす役割が大で、開示が弁護の準備にとつて必要であるなど、実体的真実主義の要請に能うかぎり答えていく上で必要不可欠であるとき、

2 検察官の主尋問終了後弁護人の反対尋問前の時期において裁判所は、検察官に対し、その手持の当該証人の検面調書のうち当該立証事項に関連する部分の開示を命じ得る、

ものと解し、右各決定に及んでいるのである。

この点について、昭和三四年一二月二六日最高裁第三小法廷決定(刑集一三巻一三号三三七二頁)は、まず

訴訟における裁判所なり検察官なりの真実発見の方法は訴訟法規の軌道に乗つて行なわれるべきこというまでもない。

ことを大前提として、具体的に逐一訴訟法規の検討を行なつている。すなわち、まず、刑訴法二九九条一項、刑訴規則一七八条の三の解釈に触れ、

当事者が取調を請求することを決するに至らない証拠書類等をまで予め相手方に閲覧の機会を与えなければならないことを定めたものではない。

と判示し、次に刑訴法三二一条一項二号後段、三〇〇条の解釈に及び

検察官に対する供述調書のような書面について検察官に公判での取調請求義務が生ずるのは、供述者が公判又はその準備期日で右供述調書と相反するかもしくは実質的に異つた口頭の供述をした後であつてしかも供述調書の方を信用すべき特別の情況の存すると認められうる場合に限られること明らかである。

と判示し、続いて刑訴規則一九三条について

被告人の冒頭陳述もしくは他の諸証拠に照らし不必要と認められる証拠まで証拠調の段階もしくは他の訴訟段階で検察官が弁護人に閲覧させなければならないことを定めたものでないこと明らかである。

と判示し、結局

その他の刑事訴訟法規をみても、検察官が所持の証拠書類又は証拠物につき公判において取調を請求すると否とにかかわりなく予めこれを被告人もしくは弁護人に閲覧させるべきことを裁判所が検察官に命ずることを是認する規定は存しない。

と判示している。

本件証拠開示決定は、

1 まず実体的真実主義の要請に能うかぎり答えることをもつて、証拠開示を命じうる根拠としているのであるが、これが右判例に違反し「訴訟法規の軌道に乗つて」いないことは、明白である。

本件のような場合、裁判所が検察官に対し証拠開示を命ずることを是認する規定は、ついに存しないからである。けだし、右判例の逐次挙示する刑事法規を逐一検討してみても事件が長期に及び証人の証言に困難が感ぜられるような場合に検察官に当証該人の検面調書の当該部分を開示する義務を負わせるような規定は発見されないし、又これに対応するような弁護人側の権利を認めた規定も発見されないのである。

2 次に、検察官の主尋問終了後弁護人の反対尋問前の時期なら右のような証拠書類の開示を命じ得るとしているが、ここに開示を命ぜられた証拠書類は、未だ「当事者が取調を請求することを決するに至らない証拠書類」であることは明らかである。また「主尋問終了後反対尋問の以前」においては、未だ証言続行中であるから「供述者が公判又はその準備期日で右供述調書と相反するかもしくは実質的に異つた口頭の供述をした後であつてしかも供述調書の方を信用すべき特別の情況の存すると認められうる場合」であるか否かは不明で、従つて検察官において取調を請求する必要があるか否かも未だ不明の段階である。この段階で手持ち証拠書類の開示を命ずることは、右判例に違反することは、明白である。

二、本件証拠開示決定は、

1 右判例は、起訴状朗読前の段階における事前開示に関する事案についての判断であつて本件とは事案そのものを異にしておるというが、昭和三五年二月九日の同小法廷決定(判例時報昭和三五年四月二一日付二一九号、三四頁)は、証人に対する検察官の主尋問終了後弁護人の反対尋問開始前の閲覧に関し、

検察官が未だ取調を請求することを決定するに至らない証拠書類についてまで、公判において取調を請求すると否とにかかわりなく、あらかじめ被告人若しくは弁護人に閲覧させるべき義務はなく、申立人らに所論の如き閲覧請求権はないと解すべきことは、昭和三四年(し)第六〇号、同年一二月二六日当小法廷決定の趣旨とするところ

と判示し、この場合にも同判例が妥当することを明言しているのである。

2 また本件証拠開示決定は、右昭和三五年の同小法廷決定について、

「一般的に主尋問終了後反対尋問前において検面調書の開示を要しないというに過ぎず本件の如く要件を限定した上で、制限的に開示を命ずることまでをも否定した趣旨か否かは明確ではない」(二、(三)末項)として、その妥当性を否定しようとするかの如くであるが、本件証拠開示決定の提示する要件なるものは、たとえ限定的なものであるとしても、「訴訟法規の軌道に乗つて行なわれるべき」刑事訴訟手続において、前記のとおり、何ら訴訟法規の根拠なく擅に設定されたものにすぎず、到底一般原則に対し例外事由を認めうべき根拠となるものではないことは明らかであるから、本件においても、右判例がそのまま妥当することは、疑問の余地がない。

三、本件証拠開示決定は、「刑訴法三〇〇条による検面調書の取調請求義務については、取調請求すべきか否かの要件判断は、第一次的には公益の代表者としての検察官の良識に委ねられていると解しうるにしても、それが最後的にも検察官の専権であるか否かは検察官の当事者たる性格と事柄の重要性との双方から考察した場合疑問と言わざるを得ない。むしろ法三〇〇条の趣旨は、事前に検面調書を弁護人に開示しその上に立つて第一次的に取調請求義務の有無を検察官に委ねるにしても、それによつて実効を期し難い場合には弁護人の申立による裁判所の決定に委ねてこそその趣旨が正しく生かされるもの」と解しているのであつて、かかる見解を前提として、弁護人にその権限を行使せしめるため、証拠を開示させることができるとの判断を示している。

しかしながら、前記昭和三四年の最高裁判所第三小法廷決定の判示しているように、検察官所持の証拠書類又は証拠物につき検察官が公判において取調を請求すると否とにかかわりなくあらかじめこれを被告人もしくは弁護人に閲覧させるべきことを裁判所が検察官に命ずることを是認する規定は存しないのであつて、刑訴法三〇〇条もまた、裁判所が本件のごとき開示命令をなしうべき根拠とはなりえないことは明らかである。

したがつて、原決定の判断は右最高裁判所決定に反するといわなければならない。

第二点 本件証拠開示決定およびこれを是認した原判決は、憲法三七条の二項前段の解釈に誤りがある。

右決定は、証拠開示の理由の一つとして、

弁護人に検察側証人に対する反対尋問を有効適切に行使させるためには、その証人の供述調書の事前閲覧が必要不可欠である。

といつている。

しかしながら、これは憲法三七条二項前段の解釈を誤つている。被告人に反対尋問権を保障したこの規定は、大日本帝国憲法にはなつた新しい理念に基く極めて重要な規定であつて、憲法は、検察側証人に対し反対尋問の機会を与えることにより、実体的真実の発見と被告人の人権保障の要請とを十分満たし得るものと期待しているのであつて、かつそれに止るものである。反対尋問権の保障といつても、憲法自体の想定する訴訟構造に違反するようなものでありえないことは、事柄の本質上当然のことである。元来反対尋問は、法廷の主尋問に現われた事項につき、その範囲でのみ行なうべきものであつて、それ以上に及ぶものではない(刑訴規則一九九条の四)。したがつて、当該証人が過去において捜査官に対しいかなる供述をしていたかを予め知らなければできないものではないのである。右のような憲法の期待以上に、被告人の反対尋問を有効適切に実施させるための材料を、訴訟の相手方たる検察官がその意に反してまでも提供せしめられることを期待しているものとは、到底考えられないのである。

憲法のこの規定に基き、刑訴法三〇四条、三二〇条、三二一条、三二三条、三二四条等の規定が設けられているのであつて、ここに、公共の福祉と人権の保障の調和が図られているのである。これらの規定を精査すると、憲法に保障する前記のような反対尋問権は、もれなく現行刑訴法規に盛り込まれているといわねばならない。これだけでは未だ憲法三七条二項前段の要請に応ずるに足らぬと解し、被告人らの反対尋問を有効適切に実施させるためには、裁判所は刑訴法規の規定の有無にかかわらず、検察官に対しその手持証拠書類の開示を命じ得ると解するがごときは、反対尋問権保障の語に眩惑されて、憲法三七条二項前段の解釈を誤つたものといわなければならない。

第三点 本件証拠開示決定およびこれを是認した原決定は、決定に影響を及ぼすべき法令の違反があり、右各決定を破棄しなければ著しく正義に反すると認められる。

一、本件証拠開示決定は、理由の冒頭において、検察官が従来の慣行を破り、立証として供述調書類の証拠申請をせず、いきなり証人尋問の請求をしたとして非難しているが、このように検察官の態度を非とする解釈が本件両決定の大きな前提となつていることは、疑う余地がない。

しかし右解釈は、刑訴法三二〇条一項、三二六条の解釈を全く誤つている。

刑訴法三二〇条一項は、既述のとおり、被告人の反対尋問権確保、直接審理主義実行等の理由から、公判期日における証拠調はあくまで直接、証人尋問によるべく、供述調書をもつてこれに代えることを許さないといういわゆる伝聞証拠禁止の原則をつているのである。近代的刑事訴訟の理念は、正にそのようなものであろうと考えるのである。

しかし、わが刑訴法は、三二六条を置いて、いわゆる同意書面につき例外として証拠能力を認めている。わが国においては、旧刑訴法以来の慣行として、司法警察職員や検察官が詳細な供述調書を作成している場合が多いので、これら供述調書のうち当事者の同意を得られたものについては、三二六条が活用されて来たのであつて、これが訴訟の促進と証人たるべき関係者の負担の軽減に役立つていることは事実である。現に通常一般の事件においては、多少とも供述調書について当事者の同意が得られることが通例である関係上、まず供述調書の取調を請求し、そのうち相手方の同意が得られないものについてのみ証人尋問を請求する例が数の上からいえば圧倒的多数を占めている実情である。しかし、大規模な涜職事件、選挙違反事件、特別な世界観を背景とする事件等一部事件にあつては、原則に戻り証人尋問を中心とする立証を行なつているのであつて、これを目して「いきなり証人尋問の請求」をすることなく先ず供述調書の取調を申請することが従来の慣行であるのに一部事件ではこれに反する態度をとつているとして非難するのは本末顛倒も甚しいといわざるを得ない。争いの少ない一般事件においては、伝聞法則の例外である三二六条を活用して訴訟促進に資することは運用上当然許されるものであるが、争のある事件においては、法の原則通り、劈頭から証人尋問の請求を行ない、慎重な審理を進めることは、現行刑訴法下においては、むしろ望ましい方法である。例外の方法を捨てて本来の原則に帰る理由を憶測することは、無用のせんさくである。

本件証拠開示決定はさらに、証拠の事前開示を拒否して直接証人尋問に移行することは不必要な訴訟の渋滞を来すといつて検察官の態度を非難するが、訴訟の進行のためには、速かに証拠決定をした上、証人尋問を開始すべきであつて、本件のように、訴訟法の明文に立脚しない議論に日をついやすことこそ、最も訴訟の渋滞に寄与するゆえんである。

なお一言附け加えると、原決定は「同意、不同意は書証を閲した上でなければ明らかにならず、又不同意部分が調書の一部に存するときはこれを排除した上で同意するという場合もあり、結局検察官が或る特殊事件についてのみ弁護人の不同意を想定しことさらに証拠の事前開示を拒否して直接証人尋問に移行することは不必要な訴訟の渋滞を来すのである」とするが、本件弁護人は前記のとおり、実況見分調書、現場写真集をすら不同意としているのであつて、本件検面調書に同意が得られないことは火を見るより明らかである。この点からしても原決定の非難は当らない。

二、本件証拠開示決定およびこれを是認した原決定が証拠決定すら行なわれていない段階で、主尋問終了後に証人の検察官調書を開示するように命じたことは、訴訟手続の構造を乱し、違法である。

本件において、検察官が第七回(昭和四三年三月一八日)公判において、証人として佐藤親則他九名の尋問を請求したが、これに対する弁護人の意見陳述はなく、したがつてその取調決定も未だなされておらないことは記録に明らかであるのに、本件証拠開示決定は、将来の手続を予想して、それらの証人の主尋問が終了した際、弁護人反対尋問に先だつて、同証人の検察官調害を弁護人に開示するよう命ずることは、訴訟指揮権の裁量内のことがらであるとしている。

しかしながら、同決定が主尋問実施前の段階で、主尋問終了時における開示を命ずる理由として掲げるところは、いずれも将来の事実を仮定し、仮定的な事実を前提として判断しているものであつて、許されないところである。しかも同決定は、検察官が将来も検面調書の開示を拒否する態度をとり続けることを予想しているかのごとくであるが、検察官の態度は、決してそのようなものではない。例えば刑訴法三二一条(三〇〇条)により取調請求の必要を生ずることは、十分ありうるところであり、その場合には、法二九九条により弁護人に予め閲覧の機会を与えることはもちろん、証人尋問の過程における必要上開示することも予想されるのである。本件においては未だかかる段階に至つていないので立会検察官は「現段階では開示に応じられない」旨の表明を繰返し行なつているのである。

本件証拠開示決定および原決定は、右のように、証人の取調が行なわれた後にはじめて判明する事項について、予め固定した判断をなし、これに基いて決定を下しているのであつて法の定める訴訟の順序を乱すばかりでなく、直接審理主義の精神に反するもので、刑訴法一条、二九四条等の精神にもとるものである。

以上詳述した通り、原決定は、最高裁判所の判例に違反し、憲法の解釈を誤り、刑事訴訟法の諸規定に違反し、その体系を乱す違法があつて破棄されるべきであるからこれを破棄し、適正な判断を求めるため特別抗告に及んだ次第である。         以上

別紙一

昭和四〇年(わ)第九一〇号

右頭書被告事件につき弁護人陶山圭之輔外四名から証拠開示の申立があつたので当裁判所は、検察官の意見を聞いた上次のとおり決定する。

主文

検察官は、弁護人に対し、別紙記載の各証人の検察官に対する各供述調書中、各立証趣旨に副う分の全てを、当該証人の主尋問終了後反対尋問の以前において閲覧させなければならない。

理由

一、本決定に至るまでの経過

本被告事件において、検察官は冒頭陳述終了後従来の慣行を破り、立証として供述調書類の証拠申請をせず、いきなり証人尋問の請求をなしたため、弁護人はその防禦の準備の必要上、その証人の検察官に対する供述調書(以下検面調書と略称)ならびに司法警察職員に対する供述調書の即時一斉開示を求めたところ、検察官は言を左右にしてこれに応ぜず、数次の折衝の末、弁護人は裁判所に対し、検察官において任意の開示をなすべく勧告の要請をなしたので、当裁判所は審理の経過に鑑み証拠の事前開示の必要性の存する事案であると判断した上検察官に対し再三に亘り勧告して来た。しかるに検察官は終始本件においては立証は証人のみで行なう方針であり当該証人に関しては現段階ではその供述調書の取調べ請求する意思はなく、たとえ弁護人の要求、裁判所の勧告があつても検察官においてかかる供述調書を弁護人に対し開示する義務は刑事訴訟法(以下刑訴法と略称)上何ら存しないものでありこのことは最高裁昭和三四年一二月二六日および同昭和三五年二月九日の各第三小法廷決定によるも明らかであること、又検察官申請の各証人に対する反対尋問は主尋問の範囲で行なうものであるから反対尋問以前にこれを開示する必要もない旨、主張して、当裁判所の勧告にも応ぜず、ここにおいて弁護人はついに当裁判所に対し本件開示命令の申立に及んだものである。

二、当裁判所は本件において、証人の検面調書については裁判所の訴訟指揮権の行使により、検察官の主尋問終了後弁護人の反対尋問に先立つて、これを弁護人の閲覧に供するよう検察官に命ずることが出来るものであるがその理由を以下順次述べることとする。

(一) 証拠開示の必要性について

言うまでもなく刑訴法は、直接主義を建前としており証拠中人の供述によるものは直接証人を尋問するのが原則である。しかし刑事裁判の現実においては、証人がすでに捜査官の面前において供述したその録取書がある場合、通常弁護人においてその供述録取書を予め検討し、反対尋問の要なしとして同意するならばその供述録取書に証拠能力が与えられ、その結果として証人尋問の煩瑣な手続きが省略されることによつて事実上訴訟促進の上からも、又訴訟経済の上からも大きな利益を生んでいることは経験に照らし、明らかである。従来検察官は、その立証にあたり、手持ちの書証を事前に弁護人に閲覧せしめた上で公判においてその認否を求め、弁護人が同意したものはその書証を証拠として取調べ請求し、不同意の分については、その供述者を証人として申請するのが通常であり、このことは全国的に一つの慣行となつて久しい。しかるに近時において検察官は公安労働事件等ある一部の事件においてはその立証として直接証人尋問の申請による一方、手持証拠の事前開示はこれを一切拒否する態度に出るようになつた。検察官のかかる態度が何に起因するものかは定かではないが、その真意は、当初不同意が予想される書証は開示するも無意味であり相対立する当事者たる被告人側に手の内を見せる必要はないこと、特殊事件にあつては事前開示により証人が威迫を受ける虞或いは又、罪証隠滅の虞を招来すると言うのであるやに推測される。しかし同意不同意は書証を閲覧した上でなければ明らかにならず、又不同意部分が調書の一部のみに存するときはこれを排除した上で同意すると言う場合もあり、結局検察官が、或る特殊事件についてのみ弁護人の不同意を想定し、ことさらに証拠の事前開示を拒否して直接証人尋問に移行することは、不必要な訴訟の渋滞を来すものであり争点を明確にして訴訟の迅速化を図らんとする刑訴法第一条、刑事訴訟規則第一条の趣旨にも背くものである。

つぎに、証人威迫、罪証隠滅の虞に至つては、仮にこれあるとしても後述の如く証拠開示の時期、方法により制約すれば殆ど支障を来すことは考えられない。

さらに弁護人に検察側証人に対する反対尋問を有効適切に行使させるためには、その証人の供述調書の事前閲覧が必要不可欠である。刑事訴訟の究極の目的は真実の発見に帰するのであるが刑訴法はその実現の方途として当事者主義を大巾に採用した。これは旧刑事訴訟法とは異なり現行刑訴法が起訴状一本主義を採用するなど裁判所を第三者的立場に後退させ、その代り被告人の地位的防禦権を充実強化して訴追者たる検察官と対等の立場に立たせることにより、両当事者の活発な論争と立証活動の中でこそ実体的真実主義の理想が達成されるものと期待したものに他ならない。かような意味において検察官と弁護人とは、互いに相反する立場にこそ立て、共に実体的真実発見のため協力し合う義務があるものであり、従つてその間の闘争と言うも民事訴訟における原被告の如き利害相反する者の間の互に勝たんがための闘争とは、その性格を異にするのである。しかしこのことを証人尋問について見れば、証人およびその供述調書は全て真実発見のため検察官、弁護人の双方が相反する方向からする真実追及の一手段たるものであつて、それはひとり検察官だけのものではなく本来当事者双方用に供すべき証拠方法たるべき性格をもつものである。しかるにいま検察官の証人尋問を見るに検察官は証人尋問前に当該証人の供述調書を慎重に検討し準備を整えた上で尋問に臨むのであるが、もし供述調書の開示を一切許さない場合においては、弁護人は当該証人が捜査官の面前において如何なる供述をなしたかも判らないまま検察官が為した主尋問による証人の供述の範囲内で反対尋問する外はない。かような場合には検察官がもし故意に、又は過誤により、あるいは必要なしと考えて証人が捜査官の面前で供述した部分を主尋問において尋問しない場合には、その部分が証言として公判廷にあらわれない虞が不可避的に生じるのである。

このことを本件について見た場合、本件は既に起訴後四年近くも経過し、検察官申請の各証人においても多分に記憶喪失や思い違い等の生じて来ていることは容易に推察うしるところである。面して検察官は本件の立証は主として証人のみで行い捜査段階における各証人の供述調書はこれを取調請求する意思なしと主張する。しかし経験に則して考慮するならば時日が経過し記憶の薄れた証人に対する主尋問は勢い右記憶の新鮮な時期に為された供述としての証人の捜査官に対する供述調書に依拠して行われざるを得ないことは見易い道理である。即ち本件の如き事案にあつては、たとえ検察官が証人のみによつて立証する旨くり返し述べているとしても、その実質は当該供述調書を弁護人の目に触れさせることなく右調書に全面的に依拠して各証人に対する主尋問を敢行し、弁護人の反対尋問によつて右主尋問による供述がいささかでも動揺することのあるときには、すかさず法第三二一条第一項第二号後段の書面としてのその検面調書を取調請求するに至ることは容易に予想され得るところである。その意味において検察官の再三の釈明にもかかわらず本件において各証人の捜査官に対する供述調書なかんずく検面調書の重要性はたとえそれが現在の段階において現象的に訴訟の表面から姿を消しているとしても一向に減ずるものではない。然る上は弁護人にとつても、事案の真相を誤りなく知り適宜有効な反対尋問の準備をなすため右証人の供述調書を、少なくとも反対尋問前には閲覧しておくことが、本件における被告人の防禦を尽す上で、又訴訟を円滑に進め実体的真実主義の要請に能うかぎり答えていく上で、必要不可欠のことと言わなければならないのである。

さらに前述のとおり、検察官は本件公判において検面調書を取調請求する意思はないと言うも、検面調書と証人の供述内容とが喰い違つた場合には、証人尋問終了後の段階において、それが被告人に不利なものであれば法第三二一条第二号後段の書面として法廷に提出しようとするであろうが、それが被告人に有利なものであればその公益の代表者たる立場から法第三〇〇条により取調請求義務を負うに至るのである。そして弁護人はそれが主尋問にあらわれない限り、たとえ参考人調書中被告人に有利な事実があるとしても反対尋問の中でそれを明らかにすることはできない上、自ら積極的にこれを法廷に顕出していく方途は閉ざされているのである。勿論法第三〇〇条による検面調書の取調請求義務については、取調請求すべきか否かの要件判断は第一次的には公益の代表者としての検察官の良識に委ねられていると解しうるにしても、それが最終的にも検察官の専権であるか否かは検察官の当事者たる性格と事柄の重要性との双方から考察した場合疑問と言わざるをえない。むしろ法第三〇〇条の趣旨は、事前に検面調書を弁護人に開示しその上に立つて、第一次的取調請求義務の有無を検察官に委ねるにしても、それによつて実効を期し難い場合には弁護人の申立による裁判所の決定に委ねてこそその趣旨が正しく生かされるものと解されるのであつてその意味においても証拠開示の必要性は肯定されなくてはならないのである。

(二) 証拠開示の要件について

当裁判所は、現行法の解釈として包括的事前開示を認めることは妥当でないと思料するものであり、個々的に夫々の訴訟の局面において裁判所の適切な訴訟指揮権に基き個別的開示を認めんとするものであるが、開示決定は如何なる場合に如何なる程度において行うべきであろうか。まず開示決定は裁判所が職権でこれをなすのは妥当ではなく弁護人がこれを申立てた場合になすべきである。又それは、本件の如く事件後時日が経過し証人の記憶が薄れ十分なる供述が必らずしも期待しえない場合のように、証人尋問が供述調書に依拠して行われる蓋然性が強い等、証拠開示が弁護人の弁護活動にとつて重要と認められる場合であることを要する。けだし証人の記憶が新鮮でその証言が微細に渡り事案の真相を正しく反映しうる場合には、供述調書の演じる役割はさほど大きくなく、立証反証活動も供述調書に依拠せず主尋問、反対尋問によつて十分に真相に近付くことが可能なのであつて、かような場合には裁判所の開示決定をあえて必要とせず開示の許否は両当事者の自治に委ねておく方がむしろ望ましいのである。而して如何なる場合に弁護活動にとつて重要か否かは、当該事案に即して裁判所が個々的に判定していく以外ない。

次に供述書類のうち如何なるものを開示の対象となすべきか。元来、司法警察職員に対する供述調書は証言との喰違いが生じるも反証としては刑訴法第三二八条による外ないのであるが、検面調書においては刑訴法第三二一条第一項第二号後段の書面として証拠能力を有するに至ることがあり、且つ同法第三〇〇条によりその取調請求が義務づけられる場合がある等その演ずる役割は他の書証に比し、比較にならぬ程大きく、被告人側の利害関係も大である。従つて開示の対象としてこれを考えるとき検面調書の開示によつて被告人側の防禦権は基本的に満たされると考えてよい。又検察官は証人申請に当り立証事項を明示しこの範囲内で主尋問を行なうものであるから反対尋問に当つても検面調書が数通存する場合当該立証事項に該当する調書のみで足りるのである。しからば開示の時期如何。これは基本的に当該事案に即して、裁判所の適切な判断に決められるべき事柄であるが、本件にあつては証拠開示の必要性が、前述のとおり主として弁護人の反対尋問のための資料とするにありその趣旨からして検察官の主尋問終了後反対尋問以前においてなされれば足りるのである。而してこの段階においては検察官の懸念する証人威迫、罪証隠滅の虞も殆ど杞憂に過ぎぬこととなるであろう。

以上を要するに、本件において検察官手持ちの証拠の開示は、弁護人の反対尋問の必要性から見て(一)弁護人より開示の申立があること(二)事件後後日時が経過する等証人に十分な証言が期待しえず当外供述調書の訴訟の背後において果す役割が大である等開示が弁護の準備にとつて必要不可欠であること(三)証人の検面調書のうち当外立証事項に関連する分のみにつき(四)検察官の主尋問終了後弁護人の反対尋問前に行なうのが妥当と思料されるのである。

(三) 証拠開示決定の法的根拠について

裁判所は訴訟の主宰者として訴訟進行のための固有の包括的権限として訴訟指揮権を持つ。それは訴訟の複雑多岐な道程を指導していくものであるから必然的に広い裁量の余地を持ち、法律の明文の規定に反しない限り当該事件の適正な審理のため訴訟のそれぞれの局面に即応した弾力性のある行使が期待され、その適正な行使によつてはじめて裁判の公正と威信とが具現されるものである。

証拠開示については刑訴法第二九九条以外に明文は存在しない。しかしたとえ明文がなくとも憲法上の要請に矛盾せず、むしろそれに副い現行刑事訴訟手続の基本構造に照らしても是認されうるようなものであれば裁判所の具体的な訴訟指揮権の発動によつてこれを当事者に命じても違法ではないと解される。いま刑訴法第一条は、刑事訴訟の大目的を明示し審理の迅速と実体的真実の発見を強調しているのであるが前述した如く、この第一条と同法第二九九条、第三〇〇条ならびに刑訴法の基本構造に照らし、証人尋問なかんずく憲法第三七条に基く弁護人の反対尋問権の保障の観点から、当裁判所は前記如き要件の存在を前提として検察官に対し手持ち証拠の開示を命ずることとしたものである。

もつともこの点については既にこれを否定的に解した二つの最高裁判例が存在する。しかし最高裁昭和三四年一二月二六日第三小法廷の決定は、起訴状朗読前の段階におけるいわゆる包括的事前開示に関する事案についての判断であつて本件とは事案そのものを異にしており、又最高裁昭和三五年二月九日第三小法廷決定は本件と多分に類似せる事案に関するものであるが、刑訴法第四三三条第一項の特別抗告申立の要件を欠いたため不適法として棄却された事案に関して傍論として説示されるものであつて一般的に主尋問終了後反対尋問前において検面調書の開示を要しないと言うに過ぎず本件の如く要件を限定した上で、制限的に開示を命ずることまでも否定した趣旨か否かは明確ではないのである。

三、而して本件は、冒頭で述べた如く検察官により立証として直接証人の申請がなされたものであるが事件後既に約四年を経過しその間検察官の交替数次にわたり裁判所の構成も全て交替し、証人、被告人等の事件当時の記憶もかなり薄れている現状にある。かかる場合、弁護人の反対尋問も事前に証人の供述調書を閲覧するのに非ざれば適切有効にこれをなしえない事情がうかがわれるのであつて、かようなときこそ裁判所がその訴訟指揮権を発動し主文の如き内容の証拠開示を命じもつて訴訟の円滑なる進行を図るべき事態なりと判断した上、本決定に至つたものである。

昭和四三年一二月一一日

横浜地方裁判所第一刑事部

(野瀬高生 芥川具正 秋山賢三)

別紙(証人・立証趣旨)<省略>

別紙二

右被告人七名に対する右頭書被告事件の第一二回公判期日において、当裁判所がした証拠開示決定に関し検察官より異議の申立があつたので当裁判所は弁護人の意見を聴いた上、次のとおり決定する。

主文

本件異議の申立を棄却する。

理由

一、本件異議申立理由の要旨は、当裁判所が第一二回公判期日においてなした証拠開示決定(以下原決定と略称)は、(一)、刑事訴訟法第二九九条、同規則第一七八条の六ならびに最高裁昭和三四年一二月二六日、同三五年二月九日各第三小法廷の決定に違反している上、(二)、この段階において主尋問終了後反対尋問前の開示を命ずる原決定は訴訟手続の構造に反し、(三)、刑事訴訟法第三〇〇条に基き検察官に検面調書の取調請求義務があるとしても弁護人の証拠開示申立権までをも認めた趣旨とは解せられないこと、(四)、又、憲法第三七条は証拠開示の権利までも認めた趣旨ではないこと等、結局原決定には法令違反があると言うにある。

二、当裁判所の証拠開示に関する基本的観点については、既に詳細に論じているので茲にこれを引用するが、尚、付言するに、証拠開示決定は本来刑事訴訟法等において明文の規定はないが、これを禁止しているものでもなく、これが法令に違反するか否かは当然、憲法、刑事訴訟法、同規則等の精神から論じられなくてはならないところ、証拠開示がその意義と機能において現行法全体の趣旨に合致するものなることと原決定で述べたとおりである。次に最高裁判所の二つの決定についても、昭和三四年一二月二六日第三小法廷決定については、本決定とは事案そのものを異にしている点、及び当裁判所も包括的事前開示を否定的に解する限りにおいては、同決定と趣旨を同じくするものである点より必ずしも原決定と牴触の問題は生じない。次に、昭和三五年二月九日第三小法廷決定については、原決定説示の如く、原決定は同決定の述べた一般論を個別的事例のなかで限定的に要件を定めた上で一歩進めたものであり、右決定がかような制限的な開示することまでをも一切否定しているものとは、当裁判所には解することができないのである。さらに、開示決定の時期の妥当性については、裁判所の訴訟指揮権の裁量内にある事項であり、原決定の如く主尋問前の段階において主尋問終了後の開示を命ずることは何ら訴訟の構造に反するものではないと思料される。

三、従つて原決定につき検察官の異議申立理由のような法令違背の点は何ら存しないから、本件異議申立は理由がなく、刑事訴訟法第三〇九条第三項に則り、棄却することとし主文の如く決定する。

昭和四三年一二月一一日

横浜地方裁判所第一刑事部

(野瀬高生 芥川具正 秋山賢三)

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